半径(R)久村卓 作品設置レポート

【作品概要】

本作品は、自己表現という印象の強い現代アートを、市民、行政・企業、美術家がそれぞれに満足する「三方良しの現代アート」として制作し、公共空間に展示するものである。

【作品紹介】

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One Point Structure – Amagasaki 1|2024 年|A型バリケード, イタウバ

街中に放置されていたA型バリケードは、都市景観をみだす要素となっていて、それを回収して作品に用いることで、都市景観整備の一助を担いました。また、充分に錆びた見た目は時間の経過を大いに感じさせ、放置されたままの状態だと汚く見えますが、補修を行ってからイタウバの台座(ベンチ) に据えることで、歴史ある尼崎を象徴するようなモニュメントとして提示する事ができました。

そして、この作品は鑑賞する事だけを前提としてはいません。台座部分をベンチの形状にすることで、作品と気付かずに自然と座れるものだと認識するような仕掛けになっています。A型バリケードの構造上、自立するのはもちろんのこと台座部分にはめ込まれているため、背もたれとしても機能します。

公共空間は、美術館とは違ってアートを見るだけのための場所では無いという認識を作者は強く持っており、アートが空間を占有してしまい作品の思想だけが伝わる事を回避するため、このような表現となっています。

(2)

One Point Structure – Amagasaki 2|2024 年|ブレーキシュー, イタウバ

阪神電鉄尼崎車庫内で使用済みとなったブレーキシューを4つ使用し、芯棒で台座(ベンチ) 部分から持ち上げ、交互に向きを変えることで波状の形を構成し、抽象彫刻のような形の作品となりました。

絵画が「色」のメディアだとすれば、彫刻は「形」のメディアです。廃品活用をして作品を作ることで環境問題に対する意識を前面に出して語ることも出来なくは無いですが、それ以上にブレーキシューが擦り減って滑らかに変化した「形」こそが、作家による造形ではなく、阪神電鉄が多くの人々を日々乗せて暮らしを支えた結果、生まれた造形であるという事を、この作品の鑑賞的価値に据えています。

そして偶然にも、滑らかになったブレーキシューはベンチの背もたれのような形状となっているため、前述の作品と同じく作品と認識しなくても座ってくつろげるという価値を提示しています。

【作者コメント】

公共空間における作品展示は、一介の美術家がやりたいと思ってもすぐに出来るようなものでは無く、行政や企業のご理解やご協力が必要不可欠であり、またこのプロジェクトが実現するまでの道筋を切り開いてくれた本プロジェクト主催者である前田氏・多田氏の尽力も相当のものだったと想像しています。

 

 

今回のプロジェクトにおいて、私は、「市民や環境と調和を取りながらも社会との関わりを持つ作品」を制作することを考えていました。前者は台座部分をベンチの形状にすることで、鑑賞的価値のみを提供するだけでなく、市民が社会の中に居られる(座れる)場所を提供することを実践しています。

後者は投棄されたものや廃棄されるものを実際に活用し、社会の中で違った道筋や物事の捉え方を制作に流用することで、作品に触れる人々の意識に新たな変化を起こすことを念頭に置いています。特にこの投棄・廃棄備品が、プロジェクトを行った尼崎市で入手したものである事が重要で、錆びついたA型バリケードは尼崎の歴史が可視化されたものであり、ブレーキシューは阪神電鉄の運行により形作られたものです。

どちらも尼崎が積み重ねてきた歴史や時間が作り上げた産物であり、この作品を見て尼崎で日々暮らす人々がその歴史や時間を自分の言葉で語る時に、あるいはその歴史や時間を他者と共有する時に、この作品の持つモニュメント的性質が発揮されるはずです。

 昨年夏のキックオフトークイベントで、私は「アートですぐに社会問題は解決しない」と発言したと記憶しています。例えば教育が一人の人間やその人格を形成するのに長い年月がかかるのと同じように、アートが社会に変化を及ぼすのにも時間が必要です。アートは思考や感情といったものが圧縮され作品になったものなので、それらが解凍され人々や社会に浸透するには、作品を作っただけでは色々と足りないのです。

間もなく第一弾の作品が出揃うことだとは思いますが、この先はプロジェクト全体が一丸となって設置された作品を起点にして尼崎の街を考えていく事が必要であり、広報や教育普及の機会を作りつつ、時間を掛けながら展開させていければと考えております。